サラリーマン生活が3年過ぎ,4年目に突入

そんな特別な折なのでたまには普段書かないことも書こう.本当に,たまにだから。
色々思うよ.とりわけ,もし自分が標準的な日本の大学院の博士課程に進んでいたら修士の後 3年で博士号取得なはずなので*1,私にとってこの3年目は最初の2年と違う特別な感慨があった.「標準的に順調に業績を積んでいる同窓生ならそろそろPRLなりPRAに筆頭で2本目くらいは載せてる頃かな」とか何とか,どうにもしょうもないことに思いを馳せたりもした.特に3月になってからは「defenceやってんのかな」「認められた優秀な層はもうポスドクで各地に散るため荷造りか」とまで.だからと言って現実的に何か異なるアクションを取った訳ではないけど.転職したのはそれとはあんまり関係ない理由だったし.どうせ前後共に東京でサラリーマンでプログラマなんだから大差ない.
毎日ではないにせよ,通勤電車の中とかふとした折に,自分の職業生活や行動を顧みては「俺ってこんな人生のために生まれてきたのかなー.(自分という人間が)つまんねーなー」と一人ごちている.たまに発音してしまい周囲に聞こえないか焦る.具体的には仮に同僚に自分と同じような奴がいても興味を払うこともなくスルーしてるだろうなーという強い確信がある.前にも書いたが私には「電車原則」というのがあって「ある人間が自分の人生に及ぼす影響が,電車で隣の席に座った乗客のそれよりも有意に大きくなければ,そいつに注意を払う必要はなく頭から追い出してよい」ことになっている.それを自分に適用したらってシミュレーションしたらそうなる.どうすればいいのかよく分からない.
別に今更 大学院に戻ろうという気はしない.自分にとって取って意味のあるタイトルは物理学の博士号だけだが,この3年を含む過去を振り返って自分はそれに値する人材ではなかったと評価している.多分 取るだけなら可能だろう.現状で取得の基準はあまりに緩く,「博士号を持つ人々」の枠に自分をねじこむことくらいできないはずはない.しかしその後に物理学の最前線を拡大するのに自分から有効な貢献ができそうかって言うととてもそんな気がしない.修士過程は本当に「大学6年生」で終わったなーという感想だが,これが「大学9年生」に伸びるだけだろう.無意味だ.学生時代,物理はいくらかの興味と意欲をもって勉強していた.そのときに赤線を引っ張って読んだ論文とか教科書がいくつかあって,その内容とは別に思ったのは「自分もどこかの大学院生が赤ペンを片手に『これは興味深い文献だ.この内容を自分で消化できれば,それは物理を勉強する中での確固とした一ステップとなるだろう.よしがんばるぞ』と思って一生懸命読むような仕事が生み出せるようでなければ,物理をやっていくとは言えないだろうな」ということ.そして学部4年は元より修士課程を通じて,その域に達することも,その域に達しそうな兆候を見出すこともできなかった.だから物理を離れ,今誰かが必要としている需要を満たすためにエンジニアとして,その典型的な実現方法であるサラリーマンとして,人生を送ろうと決めた.合理的で自分にも社会にも最適な選択だったと思う.残念なことだけど.その点をもって,アカデミアを離れてなお自分はサイエンスの精神に則って定量的合理的客観的に選択・決断を下すことができているのだと暗い喜びを覚える.
それでもまぁ,この3年(最初の1年は日記書いてなかった)あまりこういうことは書かなかった.学生時代はひたすら愚痴を書いていたにも関わらず.これは,愚痴を書いても現実が好転する訳ではないと一つ学んだとも言えるかもね.だから何だと... 愚痴を書かないと現実が好転する訳でもなかった.要は有効なアクションを取るか,そのための有効な準備を日々積んでいるかってことだ.あんまりやってない...
今の職場は,決めるに際して「現状を打破して自分の目指す流れに乗るのに良いステップかもしれない」といくらか希望を抱いたのだが,やはりなかなか人生期待通りには進まない.職場を変えるだけでは「よい流れ」に直通のレールが私を待っていてくれる訳ではない.それでもチャンスがうっすらとあるのは間違いないから,結局自分がどうすんのかって最初の問題に戻る.
おぼろげながら思っているのは,自分には数量と論理と抽象概念を扱う能力が世の大多数より相当多目に与えられているし,それを自覚してわりかし重点的に育ててきた.その能力だけをもって生きていくには残念ながら不足が目立つが,活用しないのはもったいない.この能力をある分だけ精一杯使い切り,さらに可能なら同じ興味と意欲を共有する人々と有効な共同作業ができるような人生が送れたらすばらしい.さらに好みを付け加えるなら自分は閉じた系が好きだ.と言うか自分に把握でき専門家として有効にコントロールできるのは小さな閉じた系がせいぜいだろうという自覚がある.(厳密に言うと私生活とはまた別の話.)修士で(おそまつながらも)専攻したcold atomは現時点で究極の閉じた系の一つだし(凝縮体は周囲と粒子数のやり取りがあるとかそういう話じゃなくて... ),今は本質的に2ノードからなるTCP/IP上の通信の(我々の目的に最適化された)実装に従事している.やっぱり自分はどうしてもそういうのを選ぶのかな.多分この流れにはこの先長く沿って行くことになりそう.

*1:この年数ベースがあまりに「標準」となっている現状がどうなのかとかいう問題には今は立ち入らない.